小学校3年で硬式野球(リトルリーグ)を始める
最終学年では主将を務める、ポジションはサード、打順は9番、全国大会ベスト16
中学校1〜3年では中学野球(軟式)に励む
最終学年では主将を務める、ポジションはセカンド、打順は9番、地区大会1回戦敗退
中体連が終わった後、野球教室(硬式)の練習に参加する
練習試合にときどき出るが、ヒットは打てなかった
高校1〜3年では地元の進学校で硬式野球に励む
最終学年では副主将を務める、ポジションはセカンド、打順は7番、県大会1回戦敗退
1年で医学部医学科を諦め、2年の時にリハビリテーション(理学療法)の道を志す
スポーツに関わる仕事がしたい、特にケガに苦しむ人を無くしたいと考える(自分も左膝の慢性痛に悩まされていた)
大学は国立大学の軟式テニス部で汗を流す(ほぼ遊んでた)
結構強い部活で、地区大会では優勝常連、西日本大会でベスト4くらいのチームだったが、ぎりレギュラーにはなれず、最終学年では会計を務める(ポンコツ)
勉強の方は周りの偏差値の高さ・関西寄りの文化に驚きながらも、なんとか喰らい付きながら卒業へ
公立病院へ理学療法士として入職、役場の野球部へ
コミュニケーションに難があり、非常に苦労するが、同期・先輩・上司の手を借り、院内でのリハビリテーション(主にがん術後・整形・内部障害・代謝)を6年間、訪問リハビリテーションを2年間経験する
一方、就職1年目から役場の軟式野球チームに所属、5〜8年目は副主将を務める、ポジションはセカンド・サード・ショート、打順は1番・3番・9番、キャリアハイは.270 (63-17) 打点10 盗塁11 犠打6(2016年)
就職1年目から高校野球県大会にメディカルサポートとして参加、通算12日間(約30試合)を担当した。テーピング、脳震盪・熱中症・打撲後の対応を経験。
就職7年目から地域の中学硬式野球(リトルシニア)のコーチとしてコンディショニングを中心に指導を開始
↓各時期の詳細については以下リンクを参照↓
佐々木陽平の生い立ち(高校野球)
佐々木陽平の生い立ち(大学生)
佐々木陽平の生い立ち(社会人)