友達に誘われて、小学校3年生から硬式野球(リトルリーグ)を始める。ポジションはセンターで試合中にグラウンドに埋められているビニール紐をイジり始めたり、かなり注意散漫でした。身体も小さく非力だったため、よく「こんにゃく打法」としてからかわれたのを覚えています。
6年生からはサードを主に守り、凡ミスを重ねて代えられるのがとても悔しかったです。そんな取り柄のなかった僕に、当時の監督はなぜかキャプテンを任せました。
監督は「声を出せ、セーフティバントをしろ、ゴロを打て」と、口酸っぱく教えてくれました。コーチは「回転の良い球を投げろ」と、投げ方を親身になって教えてくれました。
この2人の指導者の下、中学校1年生の時にはたくさん声を出して、セーフティバントをして、綺麗な回転のフォーシームを投げる(非力な)選手が完成しました。
リトルリーグではチームメイトにも恵まれ、全国大会に出場して1勝することができました(ベスト16)。打順は9番、キャプテンでもベンチスタートのこともあり、悔しながらでしたが全国大会出場時の胴上げは最高でした。