3歳くらいから、親の教育で公文式・そろばんを沢山やっていました。他にもいくつかの勉強(七田式・ディズニー英語)を試しましたが、合っていたのは先述の2つ。

小学校に上がると習い事のオンパレード。月はそろばん、火は歌andピアノ、水は水泳→そろばん、木は書道、金はそろばん→柔道、土日は野球、毎日公文式みたいな。

放課後校庭で遊ぶ友達と別れ、習い事に行くのはとても辛く、水泳→歌→柔道の順でやめました。辞めるって、親に言うのはとっても勇気が必要だったことを覚えています。

そろばんと習字はそのまま小学校6年まで続け、公文式は母が公文式の塾を始めたこともあり、結局中学3年まで続けました。

結果はと言うと、だいたいクラスで1番か2番くらいの成績でした。でも、家に帰ると公文式の他の教室では〇〇ちゃんが先の段階まで進んだとか、そういう話題を聞くわけですよ、地獄のようですが、いつも通りでした。

得意科目は数学と理科、苦手科目(というか苦手宿題)は国語と日記でした。これは社会人になっても変わりません。

中学時代は公文式とZ会を併用していましたが、Z会の教材が難しかったことを覚えています。特に小論文の出来は最悪でした。それでも中学のテストでは、1〜2年の時は5教科で450オーバー、3年の時も420以上はキープしていました。(それでもクラスでは2番手か3番手くらいでしたが…)

ただ、家に帰ると宿題だけして、後はテレビやドラマを観たり、ゲームをしていました。テレビやドラマはめっちゃ面白かったし、ゲームもRPGをドキドキしながらやるのが好きで、当時はめっちゃ満足してました。

中3になって受験を控えた時、成績が良い人は地域の進学校に進むことが主流になっていました。そこには「普通科」と「理数科」があって、僕は「理数科」を受験することを選びました。

お医者さんになりたかったからです。

実は、小学校4年生の時に股関節が痛くなって、整形外科に行った時、お医者さん「こう動かすと痛い?」自分「痛いです」お医者さん「こうは?」自分「痛くないです」お医者さん「なるほど、これは〇〇っていう病気だね」っていう、流れがめっちゃかっこ良かったから。(診断名は忘れました、おそらく軽い寛骨臼蓋形成不全かと)

あとは、大好きだった人生ゲームで「医者」の給料が一番高かったから。ええ、不純です。今もですが、小さい時から「お金」には少し執着が強い方でした。

しかし、思い通りにはいきません。中学までは「やらされる勉強」で、満足いく結果が得られていました。しかし、医者になるためには足りません。「やらされる勉強」をもっとするか、「自分で考えて勉強する」必要がありました。

「理数科」は全然レベルが違いました。特に数学と物理、訳わからんのにスラスラ解いているクラスメートがいて、格の違いを実感しました。

そんな環境の中で「やらされる勉強」しか知らない自分は、置いていかれるわ、やる気はなくすわで成績が大変なことになっていました。

1年の冬には、担任の先生に「今の成績だと医者は無理」と言われましたが、なぜかスッと受け入れられました。

どうしようかなー、と思っていると2年の春先に「スポーツに関わることができる理学療法士を目指すコース」みたいな記事がスーパーマーケットに貼ってあり、「これだ!」と思いました。

医者よりも偏差値は格段に低いのですが、東大には理学療法士になれる専門科がなかったので、まずは京大、順に名大、を志望校として模試を受けていくことにしました。京大も名大もE判定、中堅私立大学でようやくC判定くらいでした。

まぁ、まずその時もひたすら勉強はやる気がなく、野球から帰ってきたら、飯食って寝る、朝は英語の予習だけするけどそれ以外はノータッチ。みたいな生活でした。

3年生の7月に野球が終わってからは、開放感で友達と遊ぶことがとても楽しくて、共有勉強スペースに行っては同級生とつるんで毎日遊んで22時に帰宅、みたいな生活をしていました。

結果的に10月初めくらいまではほとんど勉強せず、過ごしていました。その頃から、流石にヤバいと思って、まずは志望校を決めました。

受験システムは、受験生全員共通の「センター試験」の後、大学オリジナルの「二次試験」がありました。私立大学は日程が重複しない限り何校でも二次試験を受けられますが、国公立大学は「前期日程」と「中期日程(公立中心)」、「後期日程」で最大3校しか受験することができません。

この段階で、国語と社会(地理)が苦手だったために、二次試験では5科目全部必要な京都大学は諦めざるを得ませんでした。そこで、名大と信大に絞り、私立は「理学療法士になる専門科」の中で1番目と2番目に偏差値の高かった大学を受けることにしました。

目標が具体的になると、人間はスムーズに動けるものです。赤本を解いたり、参考書の問題を解いたりする中で、徐々に自分なりの解き方を確立していきます。

特に、国語や物理に関してはきほんの「き」を勉強することによって、かなり伸びました。数学・英語はひたすら食らいつきました。化学はなんとなく好きでした。地理は結局最後まで、わからなかったです。

結果としてセンター試験は73%、二次試験では私立に両者合格して迎えた国公立大学の試験。当たって砕けろ精神で筆記・面接試験を受けた結果、合格。担任の先生にも信じられないほどびっくりされたことを覚えています。

そんなこんなで、国公立大学に入学することができました。部活も余裕がある部を選び、学生生活をエンジョイし始めました。

勉強は…特に楽しかったのは、人間の身体について勉強できたこと、です。最初は「何のため?」ってことが、だんだん繋がってくるあの感じは、非常に新鮮でした。

また、研究についても非常にポジティブに取り組むことができました。熱心な指導教員の下、将来の学会発表や論文投稿につながる礎を学ぶことができました。

一方、特に大変だったことは「レポート・レジュメを書いて提出すること」です。今までの勉強の中では、「学ぶこと」が目的になっており、それが全てでした。(これ、最悪です)

ですので、教員から「何を学んだの?」と聞かれ、「〇〇をまなびました」と答え、教員から「で、何を感じたの?」と聞かれたときに、僕は「???どう感じたんだっけ???」ってなっちゃってました。

「やらされる勉強」や「テストで点数を取るための勉強」の最大の弊害はここにあります。

こういった失敗をしながらですが、1つも単位を落とすことなく、卒業することができました。

また、就職のための公務員試験や、資格取得のための国家試験もありましたが、幸い「テストで点数を取るための勉強」をしていれば合格できる試験だったため、比較的通りやすかった記憶があります。

社会に出てからの勉強、これが一番大変でした

端的に理由を述べると、「テストで点数を取るための勉強」ができる人よりも「自分で考えて最善の行動をできる人」が活躍しているからです

しかし、目の前の患者さん・利用者さんをもっと良くしたい、そういう思いは忘れずに取り組んだ結果、(たくさんの上司や先輩・同期・後輩に支えられ)勉強を継続できています。

自分は昔から、社会人になれば勉強する必要はないし、日々働くことが務めなんだと考えていました。

しかし、どの分野においても社会人こそ日々の学びが多く、反省点が多く、学生時代に増して勉強することが多いように感じます。また、実際に患者さん・利用者さんに関わる経験によって、なおさら真摯に勉強に取り組まなければ、と考えさせられました。

社会人がより良い技術やより良いサービスを提供するためには、常に勉強する必要があると思います。その新たな学びこそが、自分を成長させてくれる糧になります。その成長が関わる人たちの幸せにつながるのです。

私は、社会人にとって勉強(新しい知識を得ること)とは「幸せを作るツール」だと思います。

ただしそのためには…

  1. 具体的な目標を作る
  2. 目標達成の期限を作る

これを意識しながら「自分で考えて勉強する」ことが必要不可欠です。

是非、今、実践し、将来の自分や周囲の方の幸せ創り出しましょう。