1年生の4月から軟式野球部に入部、リトルリーグが9月まであったので、それまではリトルリーグを優先させてもらいました。

中学野球部は1学年20人くらいの大所帯。4月からの平日練習はキャッチボールもまともにできず、ランニングか筋トレをひたすらしていました。

7月に新チームが発足するものの、グランドはサッカー部・陸上部との共有。キャッチボール、トスバッティングくらいしかできませんでした。

1個上の怖い先輩を怖がりながらも憧れていたので、リトルリーグの先輩や友達によく可愛がってもらったのを覚えています。

この時期は特に試合に出ることもなく、メインは応援でした。とにかく同級生の友達とワイワイしながら応援するのが楽しかったことを覚えています。

確か、同級生で体格が良くて運動神経抜群の子も一緒に応援してたから、実力というよりは学年の括りでレギュラーが決まっていたような気がします。

2年生の4月頃、時々ノックに入れてもらうことができました。練習試合でも最終イニングだけショートを守るチャンスが与えられ、2塁キャンバス寄りのゴロをうまく捌けたのは鮮明に覚えています。

それでも中体連で背番号はもらえず、先輩たちのチームは地方大会のベスト4くらいで敗退してしまった記憶があります。

2年生の7月、前学年のチームやリトルリーグの実績もあり、最終学年ではキャプテン。

新人戦では9番ショートで先発するも、イップスになって1塁送球ができなくなってしまう(すっぽ抜けて送球が上へ逸れてしまう)状態になって交代させられたことを覚えています。

その試合の記憶はそれ以降ありません。

気付いたらセカンドにコンバートされて練習していました。その時は守備も打撃も自信がなくて、結果も出ていなかったのにキャプテンと言うだけで試合に出させてもらっていました。

セカンドの動きは非常に特殊なので、なかなか慣れることができず、コンバートされる前からセカンドを守っていた選手には非常に申し訳なく思ったことを覚えています。

キャプテンが、そんなギスギスした気持ちで練習・試合を重ねていた影響もあったと思います。ローカルな地区大会では優勝できるのに、最後の中体連の大会は不運なミスも重なり、地区大会の1回戦で負けてしまいました。

今考えると、あの時は「ミスした選手のせいだ、俺は悪くない」って思っていて、最悪なメンタルの持ち主でした。(そりゃ慕われるキャプテンにはなれないよな、って思います。)

その時の同級生とは、今でも顔を合わすことがありますが、なんとなく壁がある感じで、「一期一会の人との出会いをもっと大切にしろ」って昔の自分に言ってあげたくなります。

中体連が終わり、少しすると中学硬式野球を教えている野球教室に行ってみないか、と父に勧められ、顔を出してみました。リトルリーグ時代のチームメイトもちらほら居ました。

その野球教室は(確か)自分たちの学年が10人くらいと1つ下の学年が2−3人在籍していた気がします。

とにかくみんなガッシリしていて肩も強く、中学でノホホンとやっていた自分は全くレベルが違う、といった状態で恥ずかしいくらいでした。

練習に2ヶ月くらい、練習試合に2、3回行ったくらいで、諦めて行かなくなってしまったような気がしました。とにかく恥ずかしかったです。

自分に自信がない時に、あなたは何をしますか?

僕は自分の得意なこと、勉強や遊び(カードゲームやTVゲーム)に打ち込んでいた覚えがあります。

そうやって高校受験に臨み、地域の進学校へ進みました。なんとなく、野球をやるんだろうなぁ、って思ってたことを覚えています。

そういった、「なんとなく」が自分で自分の運命をフンワリしたものに変えていくんですね。

今思うと、自分の進路や将来についてはその時の自分なりの根拠を持って歩んだ方が絶対に良いです。

以上、高校生編へ続きます